7/3 18時 Xにこんな投稿がされた。
「フジファブリックからの大切なお知らせがございます」
これはネガティブなニュースだろうと読み進めると「活動休止」の文字。
色々な考えが巡ったが、結論としては「良かったね」と思えた。
私がフジファブリックを知ったのは2007年の年末。当時高校生だった私は、中学の同級生と毎年大晦日にカラオケに行くと決まっていた。
そこで友人が「陽炎」「赤黄色の金木犀」「若者のすべて」を歌っていた。
「なんだこの曲。歌詞すっげぇ」とはっきり思ったのを覚えている。
そこでバンド名を見てみると「フジファブリック」と。
(•••ファブリック?洋服?工場っぽいな。カッコいいのかどうかわからん)とスルーしていた。
そして2009年に、その友人が「なんで死んだんだよ」とSNSで呟いていたことも、よく覚えている。
私は価値観、視野が極端に狭く深い人間で、高校生当時は他のバンドにどハマり中だったので一心不乱に、ひたすらにそのバンドばかり聴いていた。
そして、そのバンドが活動休止。
またどハマりできるバンドを探すため、ひとまず洋楽から聴き始めた。
ROLLING STONES OASIS GREENDAY BONJOVI AEROSMITH あと、King Crimsonとかも。。。
その模索中だったか、テレビから流れてきた音に衝撃を受けた。
ドラマ「モテキ」のOPだ。
フジファブリック「夜明けのBEAT」。
鳥肌がたった。「これだ!」と思った。
調べたら、フジファブリック。それが私とフジファブリックの明確な始まり。
どハマりした。そして後悔した。遅すぎたと。
それから私はCD買ったり富士吉田行ったりLive行ったり、ファンだった。
そしてある時「フジファブリックは絶対に解散しないから」というVo.の言葉を聞いた。
「そりゃやめられないよな、このバンドは」と素直に賛同した。
そして2024年7月3日の発表。先に書いた通り、結論としては「良かったね」と言える。
なぜか。
彼らは、ファンによって縛り付けられていたバンドだったのではないかという考えに至った。
「絶対に解散しない」という宣言は、ファンが彼らにさせてしまったもののように思えた。
どのライブでも、どの音楽ニュースの記事でも、どのXの投稿でも、必ず「志村さん」の影がちらつく。
現に私も志村さんの影を求めていたファンの1人だ。
フジファブリックは3人で再始動した。そして彼らの音楽は確実に大きくなっていき、その音楽を聴きにライブには人が集まってくる。でもそこでのMCは志村さんに関するもの。ファンもそれを求めている。
再始動以降の曲よりも、志村さんの曲を聴きたいというファンも多い。
フジファブリックというバンドを応援する限り、必ずそこには志村さんがいる。悪いことではない。
しかし、今は3人なのだ。誰がどう言っても3人なのだ。
なぜ私が「良かったね」と思えたのかというと、そんな影から離れる決意をしたのではないかと思った。
つまり彼ら3人は、彼らの道を歩んでいける。
これまでは「ファンに求められるフジファブリック」であり続けようとした。
「フジファブリックのメンバーってこうだよね。フジファブリックの音楽ってこうだよね。」
その想いに応え続けてくれていた。
でも、もういいではないか。
いつまで経ってもファンの視線は「1+3(もしくは3+1)」の構図だったのではないか。
いくら良い音楽を作っても、結局はその中の志村さんを探される。
歌詞に「君」「あなた」が出てくれば志村さんを連想される。
彼らのやりたい音楽はコレだったのだろうか。
ファンのために頑張ってくれていたのではないだろうか。
脱退し解散という道もあっただろう。それでも最後までファンに寄り添ってくれたのが彼らだ。
そうであれば、ファンはその想いを全力で肯定してあげなければならない。
間違っても「活動再開待ってます」「ライブ行きたかったー」「復活してね」など、言ってはいけないと思う。
彼らがファンのために苦渋の決断をしたのであれば、ファンは辛くても受け止めるべき。それが彼らに対する恩返しだと思う。
ここまで勝手な推察と持論を述べてきました。あることないこと書いてます。
実際彼らの考えを知る由もありません。
それでも私は、この決断を全力で肯定し、変わらずファンであり続けようと思いました。
ようやくファンによって縛り付けられていたものから解放される。その道を選べた。
「良かったね」。
ありがとうフジファブリック。